KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

子どもの時分に刷り込まれた呪文のような詞【チムチムチェリー】

 それこそ幼児期に植えつけられたそんなコトバ。それが”チムチムチェリー”である。そのほかにもまだある。”ビビデバビデブー”とか”チキチキバンバン”など。でどころはいまの時代なら簡単に探せる。

 

 



もしかしたら”チムチムチェリ―”というコトバを検索してこのブログに来たヒトもいるかもしれない。けれども教えない。でも余裕があるなら、もう少しこの余談に付きあってもバチはあたらないだろう。

 むかしは意味があいまいなまま、なんとなく頭に入れて、それで歌として子どもなりに成立させていた。あいまいでいいのだ別に。意味の有無よりも大事なことが、歌を歌うという行為にはきっとあるのだ。

 昭和41年にNHKの「みんなのうた」でやっていたのだが、アニメが横尾忠則先生というのがすばらしい。この不思議な世界観には、どこか引き込まれるものがある。

 そして歌い手は友竹正則さん。そうだ。友竹さんは本業が声楽家だったのだ。どうも食いしん坊のイメージが頭から離れない。(友竹さんはフジテレビ「くいしん坊!万才」の3代目レポーター)

 しかし「みんなのうた」は地味に歌を流行させている番組だ。われわれの世代には強く影響を与えている。長年にわたってテレビのすごさを知らしめている番組といってもいいだろう。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。