KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”モノマネのモノマネ”と懐かし番組特集【近藤正臣】

 さいきんやっと、近藤正臣が枯れてきたおかげで、カレのことをしみじみ味わえるようになった。このヒトはエネルギッシュであり、コトバをかえれば暑苦しかった。

 
 ”モノマネのモノマネ”というコトバがある。素人が芸能人のモノマネをするとき、その芸能人よりも、その芸能人のモノマネをするモノマネタレントのマネに似てしまう現象である。

 近藤正臣のマネをするときも、なにかこう片岡鶴太郎がモノマネする近藤正臣になってしまうのだ。いわゆる「コンドォ~です。暖房ォ~です。」みたいなかんじ。

 そもそも小学生の時分は、近藤正臣の出ているドラマなんて観ることもないからそうなってしまうのだ。つまるところ近藤正臣をまだよく知ってはいなかったのだ。暑苦しさの一因は鶴ちゃんのモノマネにあるのだ。

 話は変わって。よく番組改編期などに、昔の懐かしいテレビ番組を紹介する番組をやることがある。それこそいろんなドラマやバラエティを細切れに紹介していくものである。

 局によって違いはあるのだが、毎年といっていいほど、TBSのスポ根ドラマ「柔道一直線」を流す番組があった。毎回出てくるのが、近藤正臣がピアノを足で弾くシーンで。


 やってることがまず暑苦しい。高校生役なのに当時30近くだったというのも、暑苦しいポイント倍増である。みかたをかえれば、エネルギッシュなのだけれども。「これこそが俺の役なんだ!」という勢いがある。

 同じくTBSでやってたスポ根野球ドラマ「ガッツジュン」における魔球の投げ方、あれは明らかにやりすぎだったが。つまりなにがいいたいのかというと、脳内の近藤正臣のイメージは鶴ちゃんのモノマネと足でピアノを弾くシーンが大部分だったという話。

 なんと失礼な話だ。しかし近藤正臣はその後、あらたな新展開をみせる。そう、カッパになって浮かびはじめたのだ。



 ここまできて、もうなにがなんだかわからなくなった。


 とりあえず一回元に戻そう。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。