KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

質より量の少年時代【チェリオ】

 小学校6年のとき、母が最初の商売を、千葉市ではじめた。最初はリサイクルショップで、紆余曲折を経てその後クリーニングの取扱店になった。結局それも紆余曲折あったようで、高校生になるまでに畳んでしまった。

 

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 お店の並びには、隣にまず魚屋があって、肉屋があって、八百屋があり、駄菓子屋があった。その駄菓子屋さんに、瓶のチェリオが置いてあった。あのころは瓶のジュースがまだ主流だった。

 瓶のコカ・コーラの自動販売機というのも結構な数置いてあった。190mlで70円か80円だったとおもう。そんな時代にチェリオは300mlで50円という値段だった。

 そうなってくると、限られた小遣いしかなかったので、ジュースが飲みたくなったら、駄菓子屋さんでチェリオを買って飲んでいた。メロン味と銘打ってはいたものの、実情は毒々しい緑色の甘い炭酸水。そんなメロン味が大好きだった。

 なぜあの毒々しい緑色の甘い炭酸水が、メロン味として定着したのだろう。果汁なんて入ってやしないのに。メロンパンというのがあるが、あれもメロン果汁は入っていないが、あそこまで毒々しくはない。

 どうもあの”メロン味”というのは、日本独特のものらしい。銀座の資生堂パーラーで出したのが最初だとか。当時はあの色に高級感があったのだろう。それが時が経つにつれ、この材料なら実は安くで作れるぞとなって、のちのチェリオになったのかも。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。