街中を歩いていて、コンビニや飲食店などに入ると、むかしに聴いた洋楽のカバーが流れているときがある。なかにはそうやって歌う歌じゃないとか、そういうアレンジは原曲とあわないといいたくなってしまうカバーソングがある。
ただごくたまに、カバーの方が、オリジナルより有名になってしまったパターンというのも存在する。「All By Myself」なんかそうだ。あれはセリーヌ・ディオンの曲だというヒトは多い。
これはしかたない。アメリカを代表する歌姫に歌われてしまったら、誰も文句はいえまい。時の流れによって風化してしまうものもやはり存在する。そして悲劇はさらに続く。
なにももうひとりのアメリカを代表する歌姫のマライア・キャリーまで歌わせることないじゃないか。これではさらにオリジナルの存在感が薄れてしまう。しかしまだまだオリジナルの悲劇はこれでは終わらない。
ふたりの歌姫につづいて、今度はキング・オブ・ポップである。やっぱりマイケル・ジャクソンってすごいな。もうこうなってしまうと、オリジナルの立場は風前の灯火である。
そして最後にこちらがオリジナル。やっぱりこれがいちばんか。声質が量を凌駕した。人生の孤独を歌うにはもってこいの声だ。誰の歌ったものがいちばんかは人それぞれあっていい。もはやそういうのは関係なく名曲である。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。