KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

時代は移り変われど基本はやっぱりこの2つ【カップヌードル&カップスター】

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 さっこんいろんな即席めんが売られている。このごろではアイデア勝負というのか、味といい具といい、奇をてらったものもスーパーマーケットに行くとよく売られている。そしていつのまにか消えている。

  そのようななかでもやはり外せないのが、カップめんにおいては、カップヌードルとカップスターである。それもしょうゆ味。このごろこのへんでは、”家系ラーメン”がはばをきかせていて、なかなか正統派の醤油ラーメンが食べられない。

 なのでせめてカップめんぐらいは、澄んだチキンエキスの詰まったしょうゆ味を食べたいのである。そしてカップヌードルとカップスターは、マイナーチェンジはあるのだろうが、基本はかわらない味を提供してくれる。

 カップヌードルはコンビニにいくと必ずあるが、カップスターはスーパーに行かなければならないという日陰の存在である。カップヌードルが長嶋茂雄なら、カップスターは野村克也とでもいおうか。なんだこのオッサンならではの表現は。

 テレビCMをとってみても、カップヌードルはその時代時代に即して、トレンディ(この表現もオッサンだな)なかんじのCMに仕上げてくるのにたいして、カップスターはいつの時代もあの「カップスタ~♪食べたその日から~♪」のCMソングである。




 カップスターのCMソングは、桜田淳子のあのねっとりとした独特な歌声がまたよくハマり、それが耳について離れないのである。そんなカップスターもこのごろは、あの紙のギザギザなパッケージではなくなってしまった。

 カップヌードルと同じ発泡スチロールになってしまったのだ。なにかこう少しだけ時代の流れに迎合してしまった。そんなふうにも感じる。しかし味だけは変わっていない。そこは譲らない。そんなカップスターが愛おしいのであった。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。