KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

明日ホームランを打たせるおみやげ【吉野家】

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 どうしたことだろう。いつの間にか牛丼屋の勢力図が変わっていた。走る道走る道どこもすき家ばかりではないか。5(すき家):3(吉野家):2(松屋)ぐらいになっていないか。

 

 子どものころ牛丼といえば吉野家であった。それでもむかしは店舗が少なくて、いまよりももっとありがたみみたいなものがあった。いま値段は一時期よりも上がってはいるが、それでも40年前と値段は変わっていない。

 



 そうなのである。むかしはもっと牛丼にありがたみというものがあったから、パパがおみやげに買ってくると、子どもが喜んだのである。食べたらホームランが打てそうな気がしたのだ。

 

 ちなみにこのCMに出てくる”いちろう君”は、のちにプロ入りし大リーグで活躍するイチローである。なんでこんなくだらないウソをついているのだろう。きっとこの暑い夏のせいだ。

 

 皮肉にも、このCMが放映された翌年、昭和55年にいちど吉野家は潰れることになる。コスト削減をしようとして、粉末のつゆにフリーズドライの牛肉を使って味が落ちて売り上げが落ちたのが原因である。

 

 まだ牛肉の輸入が自由化される前で、供給が不足していたころのハナシである。フリーズドライの牛肉だと輸入制限の対象外だったのだ。そういう時代が日本にもあったのである。しかしこれではホームランどころか送りバントもできないというものだ。

 

 そして時は経ちいま。吉野家も”牛丼ひとすじ”ではなくなった。BSE問題で米国産の牛肉が輸入停止になって、牛丼が販売停止になったなどということもあったが。代わりに豚丼が登場したのは記憶にあたらしい。

 

 あのとき牛丼食べたさに早く輸入再開しろと声を大にして訴えていたヒトもいた。あまりにも必死すぎて、牛よりもあんたの方が脳みそがスポンジ状になっているのではないかと心配になるほどであった。

 

 まあそれぐらい牛丼というのは、子どものころおいそれと口にすることのできなかった牛肉を、安い値段で堪能できる、素晴らしき食べ物なのである。そういうことにしておこう。明日もホームランだ!

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。