KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

戦争とはニンゲンの本能である【爆撃機ローンサム・レディ号 -広島原爆秘話-】

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 先日、「あの日 あのとき あの番組 ~NHKアーカイブス~」で、この番組を観た。昭和53年にNHK特集として放送されたものである。すなわち戦後33年ということになる。

8月6日二十数万の市民が犠牲となったあの惨禍の中で爆撃機B−24の捕虜たちはどんな運命をたどったのだろうか。
私たちNHK広島の取材班は1年前からこの謎に包まれた広島のアメリカ軍捕虜について取材を始めました。
しかしアメリカ政府はこの問題について戦後33年間一斉の公式見解を避けています。 日本側の関係者もほとんど亡くなっていて一向に手がかりがつかめませんでした。
ところが偶然にも去年の11月東京の外交史料館から連合軍の捕虜名簿が見つかりました。
そこには「広島で20人が原爆で死んだ」と記録されていました。

 

 ”ローンサム・レディ”

孤独の貴婦人号は、昭和20年7月28日に、地上戦を制した沖縄から、さらに日本軍にとどめを刺すべく飛び立ち、山口の呉にいた戦艦「榛名」を攻撃したが、返り討ちにあう。

 

 脱出した乗員たちは、不時着して捕虜になり、広島に連行され、昭和20年8月6日の原爆投下にて被ばくする。当時20歳そこそこの彼らは、治療法もない中で苦しみ亡くなったという。

 

 なんどでも言うが、戦争はニンゲンの本能であり、止めることはできない。ニンゲンは、後世に優秀な種を残そうとするからだ。だから敵味方関係なく格差をつけて、”死んでいいニンゲン”と”種を残すべきニンゲン”をより分けるのである。

 

 軍隊の階級などというのは、その最たるものだ。戦争は勝てば英雄が誕生するが、その陰には多くの”死んでいいニンゲン”の無念が存在するのである。また戦争に負ければ何人かの戦犯は生まれるが、死んで詫びずに済んだニンゲンも、また多く存在する。

 

 それが戦争という、”ニンゲンの選別法”というものなのだ。シンプルに「戦争をやろう」というニンゲンは前線に立とうとはしない。前線で死ぬのはたいてい、「家族を守りたい」とか「ヒトビトのために」というヒトである。結果勝とうが負けようが。

 

 この番組を観て感じたのは、とにかく生々しいということだ。それもそのはずで、昭和53年当時は、まだ亡くなった兵士の親がご存命だったのだ。画面をとおしてみるその姿には、時空をこえて、胸の詰まるおもいがする。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。