KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”あの日”のザ・トップテン【1985年8月12日】

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 『ザ・トップテン』は、1981年4月6日から1986年3月31日まで日本テレビ系列局で毎週月曜日の夜8時に生放送されていた音楽番組。邦楽ランキングの上位10曲をカウントダウン形式で発表し、ランキングされた曲を歌手が披露するという内容になっている。

 

 

  ”あの日”の僕はなにをやっていたのだろう。中学1年生の夏休みで、当時は千葉市に住んでいたのだが、まったく記憶がない。おそらくテレビの前に釘付けになっていたはずだ。

 

 歌番組が好きだったから、トップテンも毎週みていたはずなのだが、それもまったく記憶にないのだ。このときばかりは報道特別番組を観ていたのであろうか。なにせまかりまちがって、千葉に墜落する可能性だってあったのだから。

 



 トップテンとTBSのベストテンはどちらも同じ生放送であったが、ひとつ大きな違いがある。トップテンのほうは、収録が一般公開されているのだ。この日もいつものように、渋谷公会堂で収録がおこなわれていた。

 

 だから地方から修学旅行生が、収録を観にやってくることもあり、その学校を司会の堺正章と榊原郁恵が紹介するのが恒例であった。この日も岡山県の高校の修学旅行生が観にきていた。

 

 彼らはこのとき、なにをおもったのだろう。飛行機でやってきたのであろうか。それとも新幹線か。とにもかくにも、テレビ収録に航空機の事故と、二重に忘れることのできない思い出になったにちがいない。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。