英霊(えいれい)とは、死者、特に戦死者の霊を敬っていう意味があるのだとか。英霊もふくめて、いったい”霊”とはなんなのだろう。そのことについて、ときおり考えることがある。
現世に生きる人間には、死後の世界があるかどうかなどわかりえない。霊なんて存在しないかもしれない。ただの無になるやもしれぬ。また若き兵士に死ねといった人間の多くは戦後も自決せずに生きた。現世に生きる者が、死んだ者に対して霊になっているなどと言うのはおこがましいのではないでしょうか。
— きぐるいツネちゃん (@hanpeita_akechi) 2017年8月12日
僕はTwitterで高須クリニックの高須克弥先生をフォローしている。いつもは読むだけなのだが、このようなツイートをみつけてリプライした。140字では伝わらないところもあるので、もう少し掘り下げたい。
”神風特攻隊”
己の命を投げうって、散っていった将兵の方々の覚悟はすさまじい。だが現世に生きるものが賞賛するのは違うと僕は思う。あれは悲劇だ。
なおかつ現世に生きる者たちが、亡くなったヒトにたいして”霊”であると決めつけるのも違う。霊などというのは、誰もみたことがないからだ。絶対にある、自分は見たなどというニンゲンは、100%ウソつきである。
ヒトは死んだらどうなるのか。天国に行くのか地獄に行くのか。そのどちらでもなく、ただの無になるのかもしれない。答えはそれこそ、死ぬまでわからないであろう。永遠の命を信じたいからこそ、ヒトは神を信じるのだ。
本人にとって、なにもかもが無になるのかもしれないその死というものを、現世に生きるニンゲンが”英霊”になったと言ってしまうのは、おこがましいことではないのか。そう思わざるをえないほど、つねに死生観というものには悩まされている。
”英霊”
過去に戦死された方の死を美化するのに、なおかつこれからヒトを死なせるのに、なんと便利なコトバであろう。戦時中、権威や権力を盾に、戦って死ねと言ってきたニンゲンがいた。その多くは、虜囚になってでも、死ぬことは拒んできたではないか。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。