KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

マイナス50℃の世界【「マイナス50℃の世界」米原万里】

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 ロシア連邦には182の民族が存在し、85の連邦というものが存在する。そのなかのひとつ、サハ共和国(旧・ヤクート自治ソビエト社会主義共和国)は最大で、標準時も3つ、つまり時差が東端と西端で2時間違うほどの面積がある。

 

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 ある意味でそれっていうのは、これだけ大きかろうが、ロシア連邦の中央政府に盾突く心配がなく、なおかつ共和国内でも民族間の領土的争いもないということだ。国章は勇ましいかんじがするけれども、じっさいは国生さゆりの方が戦闘的なのだ。

 

「お元気ですか。こちらはもうすっかり暖かくなりました。外の気温はマイナス二一度。暑いほどです」

 

 ”マイナス21℃が暑い”

今回の本の名前は「マイナス50℃の世界」である。つまりサハ共和国の12月の平均気温なのだ。マイナス50℃の世界とひとことでいうけれど、じっさいにはどのような世界なのか。

 

 椎名誠先生はいう。サハで黒い馬に乗っていたのだが、それが白い馬に変わる。どういうことか。この寒さでも馬は走れば汗をかく。その汗が凍って馬の毛に付着して、黒い馬が白く変わっていくというのだ。

 

おそらく、かつて楽園のような南国に住んでいたヤクート族は、周囲の攻撃的で戦闘的な民族に追われて北上し、ついにこの極寒の地にたどり着いて定住したのでしょう。
隣り合わせのブリヤート族に「ヤクート」すなわち「さいはてのさらにはて」と呼ばれるこの永久凍土からは、もう誰も追いたてるものはいなかったのでしょう。
当初はこのように他民族から強いられた形でやむなく住み着いた土地でしたが、ヤクートの人々はここの厳しい自然条件にみごとに適応し、今や強い強い愛着をいだいているようでした。

 

 ”マイナス50℃の世界”とは、まさにこれなのではないだろうか。追われても追われても、民族の存続のためにそれに抵抗せぬままに、この世界に飛び込んできて、愛着をもって暮らす心優しきヒトたちの世界。

 

 北海道のとある民族博物館に行ったとき、このヒトたちのビデオ映像を観たことがある。ほんとうに優しそうなかんじだった。その顔立ちは日本人にも近い。みんな顔が朝青龍。と言ってしまうと一気に説得力がなくなってしまうが。 

 

 

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。