KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

いまの子どもたちの受難【いまの戦隊ヒーローものにおもう(前編)】

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 前回の記事との関連ではあるのだが、”知的”のフロアでは、日曜日の朝食の時間かならずチャンネルをテレビ朝日にあわせている。戦隊ヒーローものと仮面ライダーを観るからだ。

 

 いまの子どもたちはかわいそうだ。このように戦隊ヒーローと仮面ライダーとをひとまとめに日曜日の朝っぱらで見せられるだなんて。いまはこの時間しか子どもたちが観られない時代になってしまったのだろうか。

 

 それとあとはドラえもんとクレヨンしんちゃんか。まだテレ朝はエライ。NHKとテレ朝以外のテレビ局は、なにをやっているのか。テレ朝はさすが元NET(Nippon Educational Television)と名乗っていただけあって、子どもたちへの愛がある。

 

 このような状況にしているから、子どもたちがひとりで携帯ゲームをやるようになってしまうのではないだろうか。それでも勉強して学校の成績がよければ結果オーライか。

 

 ゲームなどというのは、結局大人が作った道すじをたどるだけで、クリアしたどころで子どもたちはなにもしてないのだよ。答えは大人が用意してるのだから。やはりヒーローもののドラマよりかは想像力の広がりがないわけだ。物語がない。

 

 なんとなくは子供向けの番組が減った事情はわかるけれども。戦隊ヒーローものに巨大ロボットが出なくなってるもの。そういうことだよ。”超合金”などというコトバにワクワクしていたのは、数だけは佃煮にするほど多いうちらの世代の特徴だったのだ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。