KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

愛の奇跡

 ヒデとロザンナ出門英さんが亡くなってから、はやいもので27年になる。最近は男女デュオということばもあまり聞かれなくなった。むかしはそれこそたくさんいたものだが。

 

 

 ヒデさんはロザンナさんの前にも男女デュオを組んでいて、そのお相手は解散後しばらくしてアン真理子という名前で「悲しみは駆け足でやってくる」というヒット曲を発表する。”明日という日は明るい日と書くのね~♪」ではじまるあの歌だ。

 

 

 いっぽうのヒデさんはロザンナさんと組んで、デビュー曲「愛の奇跡」をヒットさせる。実は「愛の奇跡」はB面であったのだが、九州でキャンペーンをやった結果、なぜか佐賀の有線放送でB面のこの歌にリクエストが集中したという。

 

 しかし”B面”なんていまの若いヒトには、なんのこっちゃというハナシであるが。レコードというのは裏表があるのだ。シングル盤レコードの場合、一曲終わったら、また裏返してちがう曲をかける。そういう時代があったのだ。B面というのは要は”裏”なのである。

 

 中学生の時分から懐メロ好きな僕は、この歌が好きであった。そのころのヒデさんはすでに俳優として活躍していて、「毎度おさわがせします3」で立花理佐のお父さん役をやっていて、僕は毎週欠かさず観ていた。いま思うと恥ずかしい。ピロリロリン♪

 

 この”ピロリロリン♪”がなにを現す音なのかわかるヒトは、遠くはなれていようが、当時のほろ苦い思春期を悶々と過ごした僕の心の友である。また今回もハナシがだいぶ横にそれてしまったようだ。

 

 ニンゲンは”ふり向いてもらえぬ愛”に苦しむものだ。それはほんとうに徒労に終わることが多いのだが、それでも奇跡があると信じなければ生きてはいけないものなのだ。哀しいけれども。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。