KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”卑怯”について考えてみる

 ”卑怯”というコトバの意味のひとつに、”正々堂々としていないこと”というものがある。なぜそのようなことを言い出したのかというと、今回の選挙において、心底ある政治家の言動を卑怯だと感じたからである。

 

 

 

 

 

 

 この足立康史という議員さんは、日本維新の会に所属していて、過去にこのような発言をしたことがあった。

 

自分は24時間365日仕事している。そういう中で秘書だけが労働基準法に沿って残業代を支払うというのは、私は出来ません。

 

 24時間365日仕事していていつ寝ているのだというツッコミはおいておいて、給料を支払う側が圧力をかけてサービス残業させ、それを正当化するなどおかしいのではないか。そう僕は感じた。

 

 なのでそれからというもの、このヒトのことを注目してきた。どういう発言をしてきたのかは、おのおので調べていただけたらと思う。ではカレのなにが卑怯であるのだろうか。

 

 カレは小選挙区で落選したら、比例区で枠を返上するといった。選挙区民のなかには、カレに当選させたくなくて、いちばん対抗できる候補に入れるというヒトもいたはずである。

 

 いくら自分を支持しないヒトであろうが、選挙民にたいして、こういう約束を反故にするようなことをしていいのだろうか。結局これではまるで詐欺ではないか。これこそまさに卑怯である。

 

 この僕の物言いにたいして、反論したいヒトもいるであろう。自由にやればよかろう。ただこの記事に出てきてもいないような、あなたの”気に入らないヒト”を俎上にあげて、あいつはひどいがそれはどうなんだというのはご勘弁願おう。

 

 話の本筋とズレているし、足立を支持するようなヒトのその手の”常套手段”にはこちとらもう飽き飽きしているのだ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。