子どもの時分、キャンディキャンディというアニメがあって、毎週観ていた。それだけではなく、単行本も全9巻持っていた。小学生のころは、少年漫画のみならず、こうした少女漫画も読んでいたのだ。
アニメについていえば、本編だけではなく主題歌も好きであった。そして歌っている堀江美都子さんが大好きであった。いやこの想いは過去形ではなく、現在進行形である。
むろんオープニングテーマもいいのだが、エンディングテーマもお気に入りで、歌詞の内容が、これまた堀江美都子さんの澄んだ声とハマるのだ。あまりにも美しすぎる。
しかし子どものころは希望の持てる歌詞に聞こえたものだが、齢四十もこえてくると、単純に”あしたがすき”などともいえなくなる。もういろいろなしがらみが邪魔して、あしたになると余計にわるくなっていたりすることがある。
しがらみにもいろいろあるのだが、いちばんは40数年経って積み重なってできた己の性格である。こんな換気扇についた油みたいなものは、そう簡単にきれいにすることはできないのである。
それと不意にやってくる社会的なしがらみ。システム上、自分という存在が突然邪魔になってしまうということも、齢をとってニンゲンとしての衰えが進んでくると露呈してくる。
これらが重なってくると、そうかんたんに、
「あしたがすきっ♪」
などともいえなくなってくるのであるのであった。
ではどうしたらいいのであろうか。やはり少年のようなときめく心を持ちつづけていくことが大事なのだと思う。じゃあ少年のころはどうだったのかというと、スカートめくりばかりしていて、先生によく頭をひっぱたかれていたわけだが。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。