KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

あなたのその横浜は横浜であるけれどもブルーライト・ヨコハマではないのでは

 今週のラジオ日本「タブレット純 音楽の黄金時代」は、1968年11月のヒット曲特集。1968年(昭和43年)は、タブ純さんのいちばん好きな時代なのだそう。昭和43年といえば、あの有名な3億円事件がおきている。

 

 

 番組の最後にも流れたのだが、この年に生まれた大ヒット曲にいしだあゆみさんの「ブルーライト・ヨコハマ」がある。YouTubeなんかみていると、カラオケで唄った自分の歌をアップしているヒトをみかける。

 

 そうするとあわせて横浜の風景を写した静止画を載せるわけだが、だいたいみていると、いつもみんな同じ風景を出してくる。よくNHKのニュースで出てくるようなあれである。

 

 すなわちランドマークタワーがあって、観覧車があって、右端にインターコンチネンタルホテルがあってというあの風景だ。たしかにあれはいまの横浜を象徴しているのはまちがいない。

 

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 そうこれ。ただこれらの建物というのは平成になってできたものばかりであり、昭和43年の歌にのせるのには、どこか違和感がぬぐえない。赤レンガ倉庫だって、昔はこんなライトアップなどしていなかったわけであるし。

 

 ちなみにブルーライト・ヨコハマの”ブルーライト”というのは、なにを指しているのだろうか。僕の手元に一冊の本がある。植草甚一さんの「散歩誌」という本なのだが、そこにはこう書いてある。

 

元町を歩いていくと、広い四つ辻になっていて、そのずっと手前からでも夜霧のなかにポツリと一つだけ青い光が見える。あの不思議な美しさを覚えているのは横浜の人だけではないだろうか。
あの青い光はバーの軒燈(けんとう)だった。ぼくは入らずじまいだったが、どこか外国の波止場あたりにでも急に来たような気持ちにさせてしまい、そんなことを思い出しているとセンチメンタルになってくる。

 

 ちなみに植草甚一さんは江戸っ子で、古本漁りとコーヒーを飲みにいくのが目的で横浜によく来ていたそう。むしろむかしを思い出してセンチメンタルになるのは、横浜の人よりもこういう横浜に来たことがある横浜在住ではないヒトなのかもしれない。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。