KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

なぜ野茂はパイオニアとして活躍できたのか

 これをある人に聞いたらきっと怒るにちがいないよ。決まっているじゃないか。張本(勲)さんだよ。なんだかんだ言われているけど、あの人もそこのところブレてはいないよね。一貫している。

 

 このあいだNHKの”あの日 あのとき あの番組 シリーズ ニッポンのパイオニア 第1回「野茂英雄」”を観たんだ。彼の活躍のおかげで、のちに50人以上の日本人が大リーガーに挑戦するきっかけになったといわれている。

 

 ひとことで実力っていってしまえばそれでおしまいなのだけれども。でも出会いにも恵まれていたのだなと番組を観ていて思ったのさ。ちなみに野茂さんがいちばん最初に入ったチームがロサンゼルス・ドジャースだったよね。

 

 あのときの監督をおぼえているかい。トミー・ラソーダさんという20年間ドジャースの監督をやっていたすごい人なのだけれどもさ。彼はイタリア移民の子供なのだそうだよ。

 

 それを知ったときにさ、もしこれが普通の白人の監督だったら、野茂さんはあれだけ起用されただろうかって勘繰ったわけさ。ラソーダさんは移民の子供として苦労したんじゃないかな。

 

 だからこそ人種の壁を取っ払って、チャンスを与えてくれたんじゃないかなって。ちなみにドジャースってあの頃は大リーグ一いろんな国の選手を抱えていたそうだよ。あくまで想像にすぎないけど、一期一会って大事だよねって話さ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。