KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

日本国有鉄道「ディスカバー・ジャパン」

 国鉄からJRになってはや30年。この「ディスカバー・ジャパン」のコマーシャルを観ていると、日本国有鉄道だったころと、民営化されたJRになったいまではずいぶんと様変わりしたね。

 

 

 

 さすがに僕が物心ついたころにはSLは走っていなかったけどさ(笑)

 

  ”スト(ライキ)がなくなった。”

 国鉄のころはよくやっていたんだよ。おかげで電車の本数が少なくなったり、運行じたいが少なくなったり。かわいそうなのは、電車通勤の労働者で、本数が少なかろうが、仕事には行かないといけないから、ただでさえ朝はぎゅうぎゅう詰めなのに、さらに苦しい思いをして通勤しなくてはいけなかったわけよストの日は。

 

  ”むかしは改札口で駅員さんが入場証明のために切符を鋏で切ってた”

 僕が高校生のころまで、自動改札ではなかったのよ。切符を駅員さんに差し出して、受け取った駅員さんが鋏で切って返していたのね。定期は定期券という紙の券があって、それを見せて駅員さんが目視で確かめていたのさ。

 

  ”昔は4人掛けのボックス席のところに灰皿があった”

 これも僕が高校生のころにあって、同級生は制服姿だっていうのに、平気でタバコを車内で吸っていたんだ。当時吸っていなかった僕も別に気にしていなかった。ときどき先生が見回りにきてさ、見つかってげんこつされているヤツもいた。大らかな時代だったね。ずいぶん田舎だったんだねって?そうそう。千葉の東金線という電車だよ。

 

 この「ディスカバー・ジャパン」のコマーシャルでは当時5000の駅があったって言っているけど、いまではその6割ほどになってしまった。むかしは採算が悪かろうが、”国有鉄道”だから、公共のためにということで多くの駅があったのだろうね。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。