KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ゆく年くる年

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 今年の年末年始も仕事で、大みそかも正月も22時までだから、年越しの気分はどうやら味わうことは叶わないようだよ。介護施設にいて年末年始だというのに帰るところのないヒト、そういうヒトを世話しないといけないヒト。どっちも社会の落ちこぼれさ。

 

 でも落ちこぼれている者どうしだからこそ、たがいに寄り添って生きていかなければならない。そういう気持ちがなければ、世の中は殺伐とするだろう。いまは優越感を持ってこちらを見ているニンゲンだって、いつ落ちこぼれるかわからない。それが世の中というものさ。

 

 いかんせんけっこう遠くから通っているものでね。今年も「ゆく年くる年」が観られるのかどうか、ビミョーなんだ。NHKをふだん観ないヒトも、このときぐらいはチャンネルをあわせるといいんじゃないかな。節目をむかえた実感を味わえるよ。

 

 

 

 くれぐれも「ハマダー アウト―!」でバカ笑いしながら年越しを迎えないように。そこは録画してあとで観ればいいのだから。よけいなお世話か。失敬。ちなみに動画は、昭和51~52年のもの。いまはなき短波放送のJJYが、いまおもうと懐かしいよ。

 

 帰るところがあるヒトにもないヒトにも、年末年始はお休みのヒトにも、ごくごく一部の仕事だというヒトにも、だれにしも公平に、節目というものはやってくる。時の流れだけは誰にでも公平なんだ。よいお年を。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。