いまどきのお子さんのゲーム機はどうなっているかわからないが、僕が子どものころに流行っていたファミリーコンピューターには、リセットボタンというものがあった。(冒頭写真の”←コレ”参照)
リセットボタンはいわば”魔法”のボタンであり、どんなに劣勢になっても、また最初からやり直せるのである。このボタンを押せば、なにごともなかったかのように、最初のタイトル場面になってしまうのだ。
たとえば歴史シュミレーションゲームの「信長の野望」で、有能な家臣が裏切りましたといってはリセットボタンを押し、隣にいる強い大名が攻め込みましたといっては押し、しまいには本人が死にましたといっては押すのである。
そしてまたセーブしたところからはじめる。いったいオマエは”歴史”というものについてどういう見解を持っているのかと。もし織田信長が本能寺の変に遭って、はいまた桶狭間の戦いに戻りまーすなんてやったらいまごろ日本はどうなっているかというハナシだ。
ちなみになんでこんなハナシをしたのかというと、尊敬してやまない、みうらじゅん先生がクドカンさんとの対談本のなかで、いまかんたんに離婚するようになったのは、ファミコンのリセットボタンのせいではないかという説をとなえていたからだ。
まあでも実際問題、リセットボタンを押したようにみえて、じつはリセットできてないのであるが。実生活においては、多かれ少なかれ傷あとは残る。離婚は人生の一大事。冷静になって考えないと。リセットボタンなんてない。やる気スイッチもないけど。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り僕は君の傍にいる。