KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

忌野清志郎と幕張メッセ

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 子どものころ千葉市に住んでいた。父方の祖父母は東京都板橋区に、母方の祖父母が千葉市のお隣の習志野市津田沼に住んでいて、家族で出かける際は父の運転する車で移動する。そしていつも千葉市の東京寄りの端っこにある幕張を通過していた。

 

 まだ小学生だったころ、幕張メッセはまだ工事中で、あれはなにができるのかと父に聞くと「あれは幕張メッセができるのだ」と答えた。名前はわかったが、その意味はわからなかった。ちなみに”メッセ”とはドイツ語で見本市という意味らしい。

 

 そして幕張メッセは1989年10月に完成し、89年から90年に変わろうというときに、忌野清志郎はタイマーズというバンドを率いて、幕張メッセにやってきた。その出演する音楽イベントをNHKは生中継する。

 

 いまおもえばなぜNHKは、このイベントを生中継しようと考えたのか。せめてそこはまず録画だろうと。清志郎がなにかやってくるかもしれないという予測はできただろうに。

 

 でも当時のプロデューサーもじつは確信犯で、清志郎とおなじく始末書を用意していたのかもしれない。清志郎の”暴走”はいつだって弱い者は傷つけないのだからOK。これだってただ明星というメーカー名を公共放送の電波に乗せただけのハナシである。

 

 この”放送事故”はオチが実にシュールで秀逸だ。清志郎のどアップからの中断後に、島倉千代子のカレンダーと生け花の映像。きっとなにかのドラマのワンシーンなのであろう。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。