KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ミニマリストとか断捨離とかなにが楽しいのか

 【あらすじ】

 これだけはいえる。NO BOOK NO HOBBY NO LIFE

 

 ヒトサマの生き方にケチをつけてはいけないのは重々承知している。ただ昨今の”断捨離できる自分ワンダフル!”みたいな風潮に、はっきりいってイヤケがさしているのだ。申し訳ないが。

 

 あなたはなにを励みに労働しているのかといいたくもなる。私はおのれの物欲のために日々労働している。物欲のないところに労働意欲なし。エンゲル係数高いくせになにをいうかこの独身中年男。

 

 食い物のほかになににお金を使うのかというと、本や雑誌を買っている。きょうも高校生のころの気持ちに帰りたくて、文庫本で三島由紀夫の「仮面の告白」を買ってしまった。45になっても私は”若きサムライ”でありたいのだ。

 

 なにもない部屋に住むのはいいけれども、多少の本はあった方がいいとおもう。電子書籍?それもいいけれども、紙の本にあって電子書籍にないものがある。それは背表紙である。本棚にしまわれた本の背表紙には、その”ひと”と”なり”があらわれる。

 

 あなたが自分の部屋に好きな異性をはじめて呼ぶとしよう。訪れてすぐにあなたの本棚に目がいくだろう。そしてそのひとは本や雑誌の背表紙に、あなたの生きざまを感じ取るのである。なにもない部屋には、愛のことばは生まれない。

 

 ハナから呼ぶつもりはない?呼べよ。少しは菌にまみれろ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。