KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”労働力がヒトから機械にとってかわる”という大ウソ

 【あらすじ】

 労働に重要なのは、”柔軟性”である。

 

 

 

 この手のハナシはけっこう前からいわれているが、そうなったためしはない。文明の発達で、ニンゲンから機械に代わった分野はあれど、そうなったらそうなったで、ニンゲンはまたあらたな仕事をつくり出してきた。

 

 なぜだろうか。それはニンゲンには”柔軟性”というものがあるからだ。頭の柔軟性と肉体の柔軟性である。それらは別物であるけれども、密接につながれて機能している。ニンゲンの脳と身体は神秘的なまでに、ニンゲンの動きを作り出しているのだ。

 

 もしいまの時点でサイボーグ009のような、自分でモノを考え、柔軟性のある動きができる”機械人間”がいるのであったらハナシは別であるが、そのようなものはいまだ存在しない。

 

 なぜこのヒトはこんなことを言うのかというと、ブログの名前をみてもわかるとおり、読んでいるヒトに仮想通貨を買わせたいだけのハナシなのだ。後追いする者が出てくれば先行者の自分がもうかるものだから。

 

 こういうモノ言いで、不労所得を得ようとするのをあおるやり方は、正直感心しない。仮想通貨のような不労所得というのは、一律にみんなを幸せにする性格のものではないからだ。

 

 むしろ誰かを不幸にさせて自分が幸せになればいいというのが、本来の性格のものなのである。受け取るパイは無限ではないからだ。ハナシは横道にそれてしまったが、そういうことである。

 

 労働はなくならない。ニンゲンそのものを幸せにする近道は、社会貢献を念頭に働き、仕事のスキルを磨くことなのだきっと。かなり究極のハナシになってしまったけれども。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。