ハードボイル道 ~酒と泪と哲学と昭和ネタの日々~

とは言いつつふだん酒は飲まないのであるが。

死んでこの世の無になりゃ孤独もなにもないだからポックリ死ね


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  現在40半ばで独身ではあるけれど、孤独は感じていない。孤独というものを知らないからだ。孤独に悩む人は、その孤独感というものがいったいなんなのかというのをもう少し突き詰めて考えるべきではないだろうか。

 

独身四十代の孤独は凄まじい。 いい一日でも悪い一日でも、 朝から晩まで孤独なことは同じ。 いくら収入があっても何を持ってても 誰とつるんでも虚しいだけ。

独身四十代の孤独は凄まじい。 いい一日でも悪い一日でも、 朝から晩まで孤..

 つまり孤独という単なる言葉に縛られないで、それを解体してみるべきなのだひとりで。誰でもいいからそばにいてくれよという感じでアッチフラフラ~コッチフラフラ~としているから余計に孤独感に晒されるのだ。

 

 まあ40代というのは人生の折り返し地点ということで、どうしても悩んでしまう年ごろらしい。それは既婚でも未婚でも同じだ。心理学者のユングはこう言っている。

 

午前の法則を人生の午後に引きずり込む人は、心の損害という代価を支払わなければならない 

 

 午前という人生の前半期に結婚しなかったからといって、その悔いみたいなものを午後(後半生)に持ち込んでもしかたがないのだ。午後には午後のやり方というものがある。

 

 そもそも死んでしまえば、現世における孤独など無意味になる。なのでヘタに長生きしようとしないことだ。長生きしようとして細々と健康的に細々と死に向かおうとする”孤独ニンゲン”がいちばん現世の社会にとっては迷惑なのだから。

 

 しょうがなく”孤独ニンゲン”として生きていくしかなければ、ある程度好きに生きて不摂生となり、ある日突然ポックリ死ぬ。その来る”ある日”に備えて、最低限に親戚づきあいしたり、仕事をするなど社会につながりをある程度は持っておく。

 

 そうすれば一人暮らしでポックリ死のうとも、腐る前に発見してもらえる。いくら死んだら関係ないとはいえ、現世に残るヒトに迷惑をかけていいということはないのだから。そこだけは注意が必要だ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。