KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

大坂なおみ選手は日本国民であっても日本人ではない

 テニスの大坂なおみ選手が先日、”日本人”として初めて全米オープンに優勝して話題になっている。正直なことをいうと、いままでこのヒトのことをあまりよく知らなくて、ニュースでいろいろ知った。

 

 記者会見やインタビューなどを見た率直な感想は、このヒトの意識そのものは、アメリカ人だなということだ。おそらく日本にたいする帰属意識など、ほとんどないであろう。ただお母さんが日本人で、便宜上日本国籍も持っているということなのだろう。

 

 要はコトバの問題なのだ。日本に帰属意識があれば、もっと日本語が話せるはずだ。しかしそれをご両親は必要としなかったのであろう。なおみさんが選択したのではない。あくまでご両親の教育方針がそうだったのである。

 

 たとえば先日相撲で優勝した御嶽海もハーフであるけれども、彼はご両親に日本人として育てられ、自然に日本語を話す。だから日本に帰属意識がある。彼は”日本人”なのである。

 

 コトバと意識というのは密接な関係にある。ただここで言いたいのは、大坂さんは仲間じゃないということではない。日本人の血が入っている日本国民なのだから、仲間なのである。

 

 ただ彼女にたいして”日本人の意識”というのを強要してはいけないし、これからの時代こういう彼女みたいな存在は日本に増えていくよねというハナシだ。たとえば時が経って彼女がアメリカ人と結婚してアメリカ国籍を選んだとしよう。

 

 それは”誰か”にたいする裏切りではないということだ。ちょっとハナシがあれか。もう少しシンプルにいうと、たとえばインタビューなんかで、「日本に帰ってどんな日本食が食べたいですか?」みたいな野暮なことを聞いてあげないでというかんじか。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。