KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

おときた駿都議会議員の問題点

選挙後まもない離党が望ましいはずもなく、「都民ファーストの会のおときた駿」としての期待を裏切ってしまったことについては誠に申し訳なく、その点については何度も謝罪をさせていただいている通りだ。

一方で、私にも言い分はある。

選挙とはあくまで有権者と政策内容を契るものであり、自らの所属する組織がその契約実現から乖離し、その改革も不可能だとなった場合、政治家はそこから離れる選択をすることは許されるのではないか。

何がなんでも「公認をもらった政党に忠誠を尽くす」というのも1つの筋ではあるものの、それが絶対的に正しいとも限らない。特に比例代表ではなく、選挙区で一義的には「自分の名前で」勝ち抜いた政治家であればなおさらだ。

 おときた駿(音喜多駿)さんのこの発言については、はっきり言って、なにをぬかすかとおもう。まず引っかかるのが、”絶対的に正しいとも限らない”という表現である。”絶対的に正しい”などというものは、この世にはそうそうないものだからだ。

 

 一方が”絶対的に正しいとも限らない”からといって、もう一方が正しいから何をやっても許されるのかといえば、そうではない。一方が”絶対に正しいとも限らない”のならば、もう一方も”絶対に正しいとは限らない”のである。”絶対”という表現はそれほど重い。

 

 また自分の名前で当選したというのなら、いちど議員を辞職して、再度選挙で都民ファーストの候補者に勝つべきなのだ。そこで契りは結ばれるのであって、そうでなければ、ただ当時の都民ファーストという”風”を利用して当選した議員なのだ。

 

 いわば「軒先(都民ファーストの名前)を借りて母屋(議員の立場)を乗っ取る」というやつだ。そして今度は乗っ取った母屋を利用して、その任期中に”自分の名前”でクラウドファンディングを使い新党をつくる。

 

 都民ファーストを議員になって早々と抜け、新党を作るまでがこれまた早い。やっていることがツッコミどころ満載で、かつ敵もつくりやすい。これではハンマー持って頭打ってやろうとするヒトが出てくるのも、当然の帰結というものだ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。