今週のお題「ハロウィン」
渋谷スクランブル交差点が馬鹿騒ぎの場として定着したのには、マスコミの責任もある
— フィフィ (@FIFI_Egypt) 2018年10月30日
”またか”という感じである。責任、責任、責任、責任ともう。誰かのせいにすることで、問題当事者の存在が置き去りになっている。責任転嫁しやすい存在をやり玉にあげれば、そりゃみんな乗ってくるのだろうけれど。
こんなもの、バカ騒ぎするようなヤカラの内面にある、倫理性の問題だ。テレビでありのままの映像をみせて、それで暴れても許されるのだと思うヤツがいたとしたら、ある意味でそんなヤツは壊れている。
マスコミの報道でゴミをそこらへんに投げ捨てていいとか、トラックを倒していいという風に変わるかということだ。なぜトラックを倒したヤツの素顔をテレビは流さなかったのか。そんなことだから、SNS社会の構成員につけ込まれるのだ。
今日のSNS社会においては、都合のいいことばかりが拾い上げられ、それが拡散されればされるほど、”多数派の意見”ということになっていく。そして”マスコミの責任もある”が、”マスコミに責任がある”に変えられていく。
そういう意味で、”芸能人”フィフィさんというヒトは、本当の問題をぼやかす、タチの悪い扇動者なのである。安田純平さんの自己責任あーだこーだのハナシといっしょ。暴力っていうのはまず行使したヤツが悪いのだ。
そーこー言いつつハロウィンは去っていった。しかし渋谷も、東横線が副都心線に乗り入れてからというもの、始発でも終着でもなくなって、なんだか中途半端でなおかつ掃きだめみたいになったなと感じる。