ハロウィンのバカ騒ぎと責任おっかぶせSNS社会


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今週のお題「ハロウィン」

 

 

 ”またか”という感じである。責任、責任、責任、責任ともう。誰かのせいにすることで、問題当事者の存在が置き去りになっている。責任転嫁しやすい存在をやり玉にあげれば、そりゃみんな乗ってくるのだろうけれど。

 

 こんなもの、バカ騒ぎするようなヤカラの内面にある、倫理性の問題だ。テレビでありのままの映像をみせて、それで暴れても許されるのだと思うヤツがいたとしたら、ある意味でそんなヤツは壊れている。

 

 マスコミの報道でゴミをそこらへんに投げ捨てていいとか、トラックを倒していいという風に変わるかということだ。なぜトラックを倒したヤツの素顔をテレビは流さなかったのか。そんなことだから、SNS社会の構成員につけ込まれるのだ。

 

 今日のSNS社会においては、都合のいいことばかりが拾い上げられ、それが拡散されればされるほど、”多数派の意見”ということになっていく。そして”マスコミの責任もある”が、”マスコミに責任がある”に変えられていく。

 

 そういう意味で、”芸能人”フィフィさんというヒトは、本当の問題をぼやかす、タチの悪い扇動者なのである。安田純平さんの自己責任あーだこーだのハナシといっしょ。暴力っていうのはまず行使したヤツが悪いのだ。

 

 そーこー言いつつハロウィンは去っていった。しかし渋谷も、東横線副都心線に乗り入れてからというもの、始発でも終着でもなくなって、なんだか中途半端でなおかつ掃きだめみたいになったなと感じる。