僕がイスラム教徒を憎むわけ


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 死生観というのは、僕にとって生きていく上での大きなテーマであり、そこには宗教という存在が強く関係している。神様はいないとはいえないけれども、ニンゲンが謳う神の存在については懐疑的であるべきだと思っている。

 

 

 そうなったのには理由がある。そのきっかけが2004年におきた、イスラム教徒による香田証生さんの殺害事件であった。あのときは多くのニンゲンが自己責任だと香田さんを責め立てた。

 

 自己責任というコトバに僕は強烈な嫌悪感を抱いた。どのような場所であろうが、武器を持たないヒトを捕まえて殺害するようなニンゲンの罪を不問にして、殺されたヒトにたいして自分の責任とはなにごとだと思った。

 

 また香田さんはクリスチャンであったのだが、そんな彼がイスラム教徒に残酷な方法で殺害されたという一報を聞いて、ああ神様っていないのかもしれないなと痛感させられたのだった。

 

 現世のニンゲンがいくら彼が天国に行ったといおうとも、誰も天国をみたことがないのだから、それは無責任な物言いだ。かたや彼の殺害される動画を面白がってメールで送るニンゲンたち。おおかた言い分は「自己責任なのだからしかたない」であろう。

 

 またあの事件を起こしたのは一部の過激派であり、イスラム教を憎むのは間違っているというヒトもいる。いわせてもらうが、では多くのイスラム教徒には責任がまったくないと言うのだろうか。

 

 おなじイスラム教徒として過激派を抑える責任があるはずだ。過激派がやったことだと、とかげのしっぽ切りのように言うのは許されないことである。また日本人としてそれを盾にし、イスラム教を憎んでもしょうがないという態度に出るのは、香田さんにたいして自己責任と言っているのと同類なのだ。

 

 なにが正解なのかはわからないが、最期の瞬間に淋しく孤独であったろう香田さんをおもい、あえてイスラム教を憎み、宗教というものに懐疑的であろうとする少数派の立場に身を置くことにしたのだ。

 

 そしていま、大学で哲学を勉強しているのは、その正解を導き出すためでもある。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。