KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

おまえは早くその電車を降りろ

 毎週、電車を使って通学をしていると、いろいろなことに気づかされる。まず東海道本線というのは、かなりの高確率で、かつ何かしらの理由で遅延すること。しかしよくよく考えてみれば、上野東京ラインも含め、長いのになると静岡まで。

 

 

 あれだけの距離を走っているのだからしかたない部分もあるのかなとは思う。時間に正確なのが当たり前というのが、世界基準からみればおかしいのだきっと。線路に人が立ち入った、急病人が出た、人身事故が発生した、それぞれにあずかり知れぬ事情があるのだろう。

 

 もう一つ気づいたというか、気になるのが、電車の乗り降りのときである。電車を待つときは二列である。そして電車が到着したら、まず降りるヒトのために通路を開ける。ヒトが多い場合には二列になる。

 

 そのとき自分側の降りる列のなかに、スマホをみながら降りようとするヒトがたまにいる。そういうヒトは、降りるのがただ降りるだけのヒトよりゆっくりになる。そうなると、反対側の降りる列の方が早く空く。

 

 すると向こう側の乗る列がどんどん入っていくのだ。ほんらい自分が座れるはずであった空席にも侵入してくる。それで結局、電車内で立つ羽目になったことが何回かあった。これは非常に腹が立つ。

 

 降りるときぐらいスマホなど見ずに、降りることに集中しろというハナシだ。なので最近はそういうヒトに遭遇すると、にらみつけて、わざとらしく舌打ちをするようになった。相手は気づかないのだけれども。

 

 そうなるとたいがい腹の虫がおさまらないのである。しかたないので、電車のドアの窓に貼ってある、みすず学苑の広告をみて、心を落ち着かせるようにしている。あの広告は脱力するのにピッタシなのだ。

 

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 関東地方在住で電車によく乗るヒトであれば、一度はみたことであろう。この広告を観て「よし、予備校はここにしよう!」「うちの子の予備校はここにするか!」と考えるヒトがいるのかどうか問うことは、もうとっくの昔に忘れてしまった。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。