KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

それでもこのブログは続いていく

 少し冷静さを取り戻してきたと思う。このまま堕落していくわけにはいかない。それこそはいちばんの悪い結果であるのだから。PCに保存してあった写真をみていたら、落ち着いてきた。

 

 

 なので現像し、額を買ってきて飾ろうかと考えている。写真をみていると、いままでの思い出も相まって、頭の中に生前のころの姿がよみがえってくる気がする。水を供えるだけでも供養になると本人が言っていたことがあったので、そのとおりに今後したい。

 

 死後の世界はわかりえぬけれども、いろいろな可能性がある。写真にむかって語りかけたり祈ったりするのは、いきている自分のための自己満足なのかもしれない。でもいまはそれにすがっていこうとおもう。

 

 とにかく普通の生活にもどることが大事であるので、その訓練のためにもこのブログは続けていく。ブログを通じて知り合ったヒトたちのところは、コメントはしばらく残せないけれども、読んではいるのでご了承いただければと願っている。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。