KOTOBASM

言葉を使うようになって、ヒトは”時”を作った。それまではただ目の前にやってくる”生”を生きるだけだったのに、言葉と時制を持ったがために、ヒトはやがてくる死というものに怯えるようになった。

ヒトのフリ見て我がテレビ好き思い知る


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テレビを観なくても不自然じゃない世の中になったんだなぁと、そんなコトを思って夜寝る前はiPhoneYoutubeの動画を観ているのでした。

 

  ちなみに僕は、NHKの受信料もちゃんと払っている。最近のNHKが委託している業者の訪問がわずらわしいというのもあるが、けっこうNHKの番組自体よく観るので、まあまあ納得して払っている。

 

 子どものころは、親が共働きであったし、学校も嫌いだったので、ふだんは外で遊ぶかテレビを観るかしか楽しみがない。いまのようにゲーム機を持ち歩く時代でもなかったし。あ、ゲームウォッチは持っていたかも。

 

 冒頭にある引用先のブログ主のJun君は大学の友人なのだが(つい最近はてなブログをはじめた)、歳は一回り以上は下なので、世代のちがいというのもあるのだろう。僕の場合ニュースに関しては、ネットで出回る情報の方が信用できない。

 

 テレビでもネットでも、ニュースに中立性などない。それぞれのスタンスがあって当然なのである。なので僕はテレビで流れてくるニュース映像だけをまず観る。コトバよりもまだ信用できる。必要なのはその映像にも作為があるかどうかを見抜く眼力だけだ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。