KOTOBASM

言葉を使うようになって、ヒトは”時”を作った。それまではただ目の前にやってくる”生”を生きるだけだったのに、言葉と時制を持ったがために、ヒトはやがてくる死というものに怯えるようになった。

僕の知的生産の技術


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 前回の記事「なぜ大学の講義の最中にスマホを見てはいけないのか」については、特にはてなブックマークにおいて、たくさんの意見をいただいた。反対意見は大いにけっこう大歓迎だ。ただひとつ気になることがあった。

 

  というのも、これ内容を吟味せず、題名だけで反応しているヒトが多いのではないかということだ。別に調べものをするのに、ちょっとスマホをみるだけなら、誰も文句なんていわない。授業に集中せずに、ずっとスマホをみているから、注意をされるのである。

 

 まあ世の中のヒトたちは、自分の存立させるためのツールとして、スマホに依存しているヒトが多いのだなと。スマホを否定されると、まるで自分のことを否定されているかのように過剰反応してしまうのであろう。

 

なぜ大学の講義の最中にスマホを見てはいけないのか - バタなめKENのブログ「ハードボイル道 ~知恵の愛求と昭和ネタのブログ~」

「車掌が仕事中にスマホで遊んでいた」とクレームをつけるバカと同じじゃん?スマホをいじるのがいけない?スマホで何をしていたかを気にしろよ。教師の言ってたことを調べてただけかもしんねーだろアホ

2018/12/19 12:00

 

 こういうヒトをみるとつくづくおもう。僕も見ず知らずのヒトをアホよばわりできるぐらい、自分の知能に対する自信が欲しいと。このヒトはスマホで調べている間にも進むであろう講義も、己の頭脳にインプットできるというのであろう。

 

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 その点、僕の場合は講義を聞いて、ノートに書くという作業で精いっぱいなのである。ちなみにこれは僕のノートなのであるが、青字は板書で書かれている部分、赤字はその中でも重要な部分、緑字はそれ以外の部分で先生が余談で言っていたこと、自分がちょっと感じたことなどが書かれている。

 

 疑問に思ったことは、その場で調べようとせず、右隅に緑字で書いておいて、講義が終わったあとに先生に聞いたり、家に帰って調べる。といったかんじだ。ちなみにボールペンは消すことのできるパイロットのフリクションボールペンを使っている。

 

 ”知的生産の技術”ってどっかで聞いたことがあるというヒトがいるとおもう。岩波新書の、梅棹忠夫先生の本の名前である。本屋でも古本屋でもよく置いてあるロングセラーの本なので、興味のあるヒトはぜひ。

 

 先生が書いておられたが、学校は勉強を教えても、勉強の仕方は教えてくれない。僕は小中高と劣等生であり、40半ばになっても、勉強の仕方というものをまだまだ確立できないでいる。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。