KOTOBASM

言葉を使うようになって、ヒトは”時”を作った。それまではただ目の前にやってくる”生”を生きるだけだったのに、言葉と時制を持ったがために、ヒトはやがてくる死というものに怯えるようになった。

年末ジャンボ宝くじ

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 みなさんは、年末ジャンボ宝くじを買われたであろうか。僕は買った。しかも大安の日に。狙ったわけではない。食材を買ったあと、ぐうぜんに宝くじ売り場の前を通って知ったのだ。財布の中の残金残り8000円で迷ったあげくに購入した。

 

 

 いまは年末宝くじもいろいろな種類があって、ジャンボ・ミニ・プチとある。プチなどというのは、最高で当選金額は1000万なのであるが、その分ジャンボより1000万円が当たる確率は高くなる。

 

 みんな1枚300円。通常は10枚単位で買うものである。手持ちは8000円ということで、ミニは買わずに、ジャンボとプチを10枚ずつ購入した。どうせならキャッシュコーナーでお金をおろしてミニも買えばいいのにというハナシかもしれないが。

 

 まあしかし、お金をおろしてまで買うことはないだろうと考えたのだ。宝くじみたいな、胴元の取り分が多いものは特に。あくまで”運だめし”だ。運をなんとかしようとせず、その場の持ち金で勝負。手持ちが2000円だったら、どうしたのであろう。

 

 行列に並んだのだが、前のヒトたちは、ほとんどジャンボを連番で買っていた。僕はというとバラである。だいたいプチも買っているあたり、なんともセコい運だめしではないかというハナシだが。

 

 若者が宝くじを買わないといわれているが、宝くじなどというのは、人生の折り返し地点を過ぎたヒトが買えばいいのである。夢と希望を補充しないといけないから。若いヒトは、夢と希望とこれからがあるのだし。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。