一足早く30日に、おおみそか気分にひたることにした。おおみそかも正月も夜勤だからである。いままでと違って独りで過ごすことが確定なので、だったら働いていた方が周りにヒトもいるし、いいかなと考えたのだ。
別に蕎麦を食べたというわけではない。代わりにスパゲティーを食べたけれども。残っていた食糧をみたら、あったというだけのことだが。米とインスタント味噌汁とレトルトのパスタソースは、これでもかというほど備蓄しているのだ。
それで横になって、今年をふり返りながら、夜ふかししてテレビを観ていただけのことである。録画もふくめていろいろ観ていたのだが、そのなかのひとつに、「バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~」があった。
このドラマは関東では今年の2月にやったもので、その2月に主演の1人である大杉漣さんが亡くなっている。このときは、つい最近まで元気であったのにと、彼女とふたりでショックを受けていた。ふたりで観ていたドラマには、いつも漣さんがいたのだ。
そして同じ年の11月に彼女も亡くなるのだから、ほんとうにあるのだとしたら運命というのは残酷である。
”時代の推移とか、超越的な何かによってそうなることに決まっている、物事の成行きや人間の身の上”。
そう新明解国語辞典の第四版には運命の意味について書いてある。まあだから、なにごとについても、”運命”でかたづけてはいけないということなのだけれども。じゃあ”超越的”ってなんなの?と考えるのもこれまた哲学なのだろう。
ハナシはそれにそれたが、漣さんの動く姿を観ていて泣けてきたわけだ。今年はもう強烈な”まさか”に襲われた年であった。大学で学びはじめたこともふくめて、転機の年だったと後年になってふり返ることになるかもしれない。
というわけで、みなさまとも今年はこれでお別れである。来年はまた、おたがいにとっていい年でありますように。ありがとうございました。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。