KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

校正を頼まれたので自分なりにやってみた

ameblo.jp

元原稿。

 以下、僕なりに書き直したもの。

 

https://mojim.com/twy114209x6x13.htm

 これは、「東京プリン/あこがれのハワイ」という曲の歌詞である。この曲の2番のサビに「童顔だけど僕は二十歳を超えている」と言う詞がある。

 

 童顔ではあったものの、すでに21歳の私は、ロスアンジェルスで酒を購入した。年齢を確認された時の為に、パスポートをすぐ取り出せる位置に用意していたのだが、特に問い質される事も無く、「スカイブルー」の6本詰めを購入する事ができた。 

 

11年越しのリベンジだった・・・ 

 

 

 時はJリーグブーム真っ只中の1993年夏。当時10歳だった私は家族親戚一同と共にグアムへと降り立った。 

(余談だがこの頃のグアムと言えば、大地震が起きた事でも知られている。) 

 

 滞在中のある日の夜、アーチェリーのアトラクションを見つけ、やろうではないかという流れになった。ところが、参加資格は「10歳以上」。

 

 ん?当時10歳だったんやろ?ならば問題ないやんけ。

↑そう思うだろ?

 

 

しかし、そうは問屋が卸さない。

 

 

 

 当時の私は、小学4年生ながら、名札を付けていなけりゃ低学年、いや、下手したら幼稚園児にも見える位に小柄でおぼこい容姿であった。日本人からみてもそうなのである。ましてや体格が立派な外国人のスタッフに、私が10歳以上であるという事を証明できる手立てなど、無きに等しかった。なので結局、アーチェリーに興じる事はできなかった。

 

 別段アーチェリーがしたかった訳では無い。できなかったとしても、10歳である事は信じて欲しかった。それが当時に感じた、私の本音である。日本でも散々馬鹿にされていたし。全ては年齢を証明する物を持参していなかった私の敗北であった、、、。 

 

 

 そのような過去があったが為に、ロスのショップのレジを通り抜ける際に、そのときの自分を思いだして、

 

「やったよ…」

 

とボソッと呟いたのは、私にとって必然の理であったのだ。

 

 以上。重複しているとおもわれる部分と、”てにをは”を修正。またブログ表現として過度な改行は見にくくさせるので、そこを修正。そのほかまちがってはいないけれども、僕ならこう書くかなという部分は改変している。そこは読むヒトの好き好き。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。