KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

AI(人工知能)について僕の考えを述べよう

 

 ここでひとこと記録しておきたい。ニンゲンには骨・筋肉・神経とそれを司る複雑な構造の「脳」というものがある。人工知能には骨・筋肉・神経を柔軟にコントロールすることはできない。

 

 トラックの運転手の業務がAIにできるようになるなどということは、まずAIがロボットの二足歩行を自由自在に操れるようになってからいってもらいたいものだ。何十年後かに答えは出るだろうといっても、過程がまったくみえないようでは何十年後もクソもないのだ。

 

 実はニンゲンという動物は、手を使うがために二足歩行になったわけだが、二足歩行というのは身体にとって無理がある。四つ足よりも内臓に負担がかかるのである。力学的に無理があるからこそ、ニンゲンがロボットに二足歩行させようとするのは難しいのである。

 

 今の技術では、宅急便のヒトたちの業務をこなせる根拠はないといえるだろう。宅急便のヒトたちの業務はそれこそ、骨・筋肉・神経を柔軟に駆使しなければできないのである。ただ物を運ぶだけがトラックの仕事ではないのだ。(たぶんもっと続く)

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。