KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

布のブックカバー

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 あれは勝間和代さんであったであろうか。いまどき電車のなかで本を読んでいるヒトはほとんどいない。いてもひとつの車両に一人ぐらい、みたいなことを言っていた。たしかにスマホをみているヒトは多数派だ。

  だがなかなかどうして。東海道線は、朝も昼も本を読むヒトは多い。そして図書館で借りている本を読むヒトがけっこういる。ビニールでコートされて、図書館名が記してあるバーコードシールが貼ってあるので一目瞭然だ。

 僕も図書館で借りて、通勤電車で読んでいるのだが、どうもむき出しのまんまで読むのは抵抗がある。図書館で借りて読んでいるとわかってしまうのはいいけれども、住んでいるところをバーコードシールで知られるのに抵抗があるのだ。

 藤沢市在住が恥ずかしいのではなく、相手がこちらに知らせないのに、自分のところだけ知られるというのがアンフェアと感じてしまうのである。さらに読んでいる本の題名と著者まで知られてしまう。

 しかも相手の内心は読めやしないから、”安部公房?いまどき前衛でも気取っているのか?”などと思われても、こちらにはわからないのである。というわけで、布のブックカバーを長年使用している。もはや自意識過剰な被害妄想の変なおじさんである。

 文庫用と新書用とふたつ持っている。このカバーさえあれば、電車内で官能小説も読める。若い女性を前にして内心で、”お嬢さん、このおじさんはこうして難しい顔して本を読んでいるけれども、実はこれ官能小説なんですよ・・・”とつぶやくこともできる。

 もちろんやったことは一度もないのだが。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。