KOTOBASM

言葉を使うようになって、ヒトは”時”を作った。それまではただ目の前にやってくる”生”を生きるだけだったのに、言葉と時制を持ったがために、ヒトはやがてくる死というものに怯えるようになった。

先日のスクーリングのハナシ

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 心配されていた雪は、湘南にかんしては積もるということもなかった。土曜日曜はスクーリングであった。日本大学通信教育部というところは、補講がないので、なにがなんでもスクーリングは実施する。金曜日の夜から”実施するからお前ら来いよ”的な通達があった。

 

  そういうわけで、幸いにも東海道線は通常運転、スクーリングには無事参加することができた。本当は雪が降って積もったならば、はしゃぐぐらいの少年の心を持っていたいのだが、なかなか現実はそうもいかない。

 

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 土曜日18時台の市ヶ谷駅ホームからの風景である。市ヶ谷駅の周辺は僕が市ヶ谷駐屯地にいた25年前とは様変わりしていたが、この釣り堀だけは変わらない。右から3番目と4番目のビルのあいだの坂道を通って宿舎に戻っていた。

 今回の英語の先生というのが、これまた意地悪な先生で、講義の最中に差されて答えられなかったりすると、イヤミを言うようなヒトであった。今回はスクーリングの参加希望が多く、その先生と別の先生に分かれた。

 

 別の先生の方はテスト問題の傾向(テスト内容は両クラス同じ)などを教えてくれていたのに、こちらの先生はまったく情報なし。喫煙所でタバコを吸っているときに、別の先生のクラスのヒトが教えてくれたからよかった。

 

 といいつつ。最終テストは勉強したことが(一夜漬けだが)出てこずに、かなりひどい結果が予想される。授業は全部出たし、提出物も出してはいるが、もし30点であったら、あの先生では躊躇せず落とすにちがいない。最低評価でもいいから合格点であればいいのだが。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。