KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

日本大学通信教育部のハナシ(なぜにここにしたの編)

 3月になったものの、老若男女問わず、どうしようかと悩んでいるヒトもいると思われる。通信教育で大学の勉強をしてみたいけれども、どこの大学がいいかとか、それ以前に入学するかどうかで。

 

  中には著名人(ホリエモンとか)でも大学など行っても無駄というヒトもいるかもしれないが、勉強しようという気があるのなら行くべきである。僕の高校生のころは世代的に人数が多かったこともあり、大学は今よりも狭き門であった。

 

 そういうのもあるから、ほんと学べるときは学んでおくべきだと思われる。世界を見渡せば学びたくても学ぶことができないヒトもいるわけだ。そういうなかで大学に行くことがムダとひとことで片づけるのは、傲慢であるとしかいいようがないのである。

 

 ということで、学びたいというヒトは、なにを学びたいのか明確にしておかなければならない。ここで適当に決めてしまうと、のちのち苦痛になる。

 

 日本大学通信教育部のばあいは、分野が多岐にわたるところが特徴で、法律・政治・経済・国文・英文・哲学・史学・商学と文系であればいろいろな選択肢がある。

 

 僕は哲学を専攻している。実は通信教育で哲学を学べるところって少ない。もうひとつ慶応の通信教育部も哲学が学べるのだが、いかんせんレベルが高い。専門科目のレベルが高いのはいいとしても、そのほかにまず取るべき必須科目である総合教育科目や外国語のレベルが高いのではお手上げなのである。

 

 日大のレベルが低いというわけではないが、ある程度のレベルがありなおかつ慶応よりは易しいといえるだろう。ここがポイントで、専門科目にたどりつく前に挫折しないようにしなければいけない。ロンブー敦はそこを失敗してしまった。

 

 有名でなおかつ優秀な大学は、通信教育部においても単位をとるのが難しいのである。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。