KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ビートたけしの活舌

 今年の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」が第6話にして視聴率が10%を切ったということで、話題になっている。ちなみに僕はここまで欠かさず観ているのだが、僕のアパートのテレビジョンには視聴率調査のための機械などついていないので、まったく数字には関係していない。

 

 

 つまり僕自身がおもしろいと思って観ているのだから、そんな数字知ったこっちゃねえよってことだ。けれども数字にあらわすということは、わかりやすくヒトビトの脳に訴えかけるので、報道されやすい。

 

 そして物好きなヒトは、低視聴率の原因を”分析”したりする。そのようなものは、いろいろな要素があるだろうに、これまたわかりやすくするために、ひとつの要素をクローズアップする。

 

 そのなかにあったのが、出演者のひとりである、ビートたけしの活舌が悪いからというものだ。もしほんとうにそれで観ないことにしたというヒトがいたら、お目にかかりたいものだ。いや止めておこう。おそらく話が合わないだろうから。

 

 僕はいまのビートたけしをみていると、あることを思い出す。それは25年前のバイク事故と、退院したあとの記者会見の映像である。あれは衝撃を受けた。

 

 片方の目はそれこそロンドンもしくはパリの方向へ向き、口も曲がっていて、ニンゲンというのはここまで顔が変形してしまうのかというのが正直な感想だった。

 

 あれから考えれば、いまよくこうしてテレビに出られるものだと思うのだ。けれどもあのバイク事故さえなかったら、もっと演者としても違っていただろうとも思わされる。

 

 だからぶっちゃけ、いまの活舌うんぬんとかどうでもいい。あのときもし死んでいたら、きっといろいろなことが変わってしまったであろう。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。