KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

サギ師・イケダハヤト



 なんて題名をつけたら怒られるか。ただ「AIがヒトの仕事を奪う」というコトバそのものは、サギ師臭がプンプン臭うのである。

 

  この動画では触れられていない(そこは分割しているのがまたうまいところ)が、結局はベーシックインカムワークシェアリングで得たお金だけで暮らしていくのですか?不労所得を得ましょう。そのための勉強をしましょう。情報を教えますから、僕にお金をください。となってくるわけで、サギ師臭がプンプン臭うのである。

 

 だいたいサギ師臭をプンプン漂わせているヒトの特徴として、不安をあおるというのがある。AIが仕事を奪うというけれども、よく考えてほしい。

 

 仕事というのは、頭だけでするものではない。手足を使わなければいけないのだ。どんなにAIが優秀であっても、手足の代わりになるものがダメであるならば、仕事というものは成り立たない。

 

 つまりトラックの自動運転ひとつとっても、突発的にトラックのボディ部分がダメになってしまえば、AIなんてクソの役に立たないのである。そういう意味において、意思というものを持ったニンゲンの脳と、それを実行する肉体はAIより優れているのだ。

(このシリーズはおそらくだがゆるりと”つづく”)

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。