KOTOBASM

Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.

今日の大学が求めているのは知性ではなく、使いやすい労働力

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 衣食住は両親が頼り。研究費は非常勤講師やアルバイトでまかなった。研究職に就こうと20以上の大学に応募したが、返事はいつも「貴意に添えず」だった。読まれた形跡のない応募書類が返ってきたこともあった。

 

 

 

 ちなみに表題は、自殺された研究者の方のお父様のひとことなのですが、せつなく胸に突き刺さります。さぞかし無念であったことでしょう。

 

 ほんとうはこういう”道”を教えてくれるヒトを、世の中の多くのヒトは求めているはずなのです。それに目をつむって、世間は受け皿を作ってこなかったのだと思われます。

 

 それぞれのヒトが道を探すようになったら、ヒトを束ねる側にとっては都合が悪いというのもあるでしょう。

 

 まあ高校卒業してすぐに大学に行くような若人は、道を教えられなくても乗り越えられるパワーがありますから、「役に立つ」ような学問にいくか、とりあえず大学を出たという証明が得られればそれでいいのですが。

 

 死というものに現実を感じてきた者にとっては、哲学であったり、宗教を大局的な目線で学ぶことは大きな意味を持つはずなのです。いまの僕がまさにそうですから。

 

 大学の通信教育であったり、私塾であったりでも、人間の根底を見直す学問を学べるような文化が育てばいいなと願います。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。