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言葉を使うようになって、ヒトは”時”を作った。それまではただ目の前にやってくる”生”を生きるだけだったのに、言葉と時制を持ったがために、ヒトはやがてくる死というものに怯えるようになった。

ニンゲン社会はリーダーをおときた駿に託すことはできるのか

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 基本僕は政治というものに関心を持たないようにしています。選挙にも行きません。ただ”ニンゲン社会”について考えることは好きなので、そういう意味では”部外者アイ”で選挙というものを見ています。

 

  おときた駿さんは、よくテレビにも出ていますし、ブログやSNSに力を入れているので、ご存知の方も多いと思います。今回は都議を任期途中で辞め、東京都北区の区長選に出馬されるそうです。

 

 この区長つまりリーダーを決める選挙というものは、ニンゲン社会の縮図であるなと思われます。部外者アイでみれば、83歳にもなって選挙に出馬するなんてという感じですが。

 

 でもこの83歳の現職区長を中心としたニンゲン社会ではきっと、このもう死にむけて落ち着いて人生をふり返るべき年齢のヒトを、まだひっぱり出さなければならない事情みたいなものがあるのでしょう。

 

 まあひとことで乱暴に言ってしまうなら”しがらみ”なのですが。すなわち関係性です。選挙とくに区みたいな小規模な社会の選挙に必ず行く層というのは、大なり小なりニンゲン社会との関係性があるから行くわけです。逆に僕もふくめて社会との関わりが稀薄なニンゲンは選挙に行きません。

 

 ちなみにおときたさんは北区出身ですが、現在は江東区タワーマンションに住んでいます。35歳という若さゆえのしがらみ(関係性)の無さもふくめて、はたして”ニンゲン社会・北区”は、おときたさんをリーダーとして迎え入れるのでしょうか。

 

 部外者アイからみて、とても興味深いものがあります。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。