KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

性懲りも無く戻ってきた

 いくらなんでも早い。ブログを引っ越したのはいいが、いかんせんここのところの状況が変わってしまい、更新が滞ってしまっている。本当はもっと哲学的な記事を、あっちで更新したかったのであるが。

 

  いかんせん仕事時間、通勤時間が長い。どうも夜勤というのがいけないのか、帰ってきたらヘトヘトで、更新しようにも頭が働かない。それに加えてやっぱり私は昭和の思い出に浸るのが好きなのである。

 

 私はブレるニンゲンだ。でもブレながら、バランスをとっているのである。言い訳はそれだけかって?以上である。まあそういうわけなので、また以前のようなかんじで闇鍋のごとくいろいろな記事を更新していこうと考えている。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。