ボクはダメおじとして生きていく

昭和48年早生まれ独身のダメニンゲンで哲学を専攻する大学生 教養の身につけ方を考え昭和の思い出にひたるブログ 

東海道線の車内にてそう思われる

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 通勤で東海道線を利用している。辻堂から川崎まで。30分ちょっと電車に乗っているわけだが、けっこうな頻度で急停止に遭遇している。

 

  そのときは「急停止します」というアナウンスが突如コールされるのだが、こないだなどは寝ているときに急停止し、無防備であったため、肩を勢いよく横にぶつけてしまった。

 

 このときは踏切の非常停止ボタンが押され、その前は踏切内の立ち入り。運転手が安全確認をするため、しばし足止めされる。幸いにどちらも大事に至らなかったが。

 

 幸いに越したことはないのだけれども、なんなら一回轢いてしまったらどうなのだろうかと不謹慎だが思われる。このごろ踏切を舐めているニンゲンが、過去にくらべて増えたのではないかという思いからだが。

 

 あくまでIf(もし)のハナシであり、ほんとうにそうなれと願ってはいない。願ったところでそうなるわけでもないのだが。もしそういう場面に遭遇したならば、偶然の積み重ねの驚異を実感するだろう。

 

 まあかくいう僕も舐めているのだ。どうせ死ぬほどの事故は起こらないだろうと。非常ボタンもいたずらに押したのであろうなんて。もしいたずらで押したとしたなら、押したニンゲンはどんな気分であったのだろう。

 

 この一押しだけで、リスクを冒して、どれだけのヒトに影響が与えられるか。ある種の高揚感を味わえたのであろうか。そのような高揚感をより、崎陽軒(の焼売)を味わいたいものだが。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。