KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”野良アイドル”について思われる

f:id:hanpeita1973:20190806145727j:plain

 川崎駅というところは、川崎市が音楽のまちといわれるだけあって、路上ライブがさかんな場所である。ジャンルも多様で、この日は津軽三味線を演奏するヒトがいた。

 

 その近くでは、こうして一人でアイドルソングらしきものを、カラオケで歌っているヒトもいた。このヒトをみかけてひらめいたのが、野良アイドルというコトバである。

 

 きっとカノジョは、家から機材を引っ張って、一人で電車に乗ってやってきたのではないだろうか。この行為を想像しただけで、僕はカノジョの才能や将来性云々を語る気にはなれない。

 

 さらに想像は広がっていく。このヒトはひとしきり歌ったら、また荷物をまとめて帰っていくのだなと。

 

 その姿はあたかも宴会で酔っぱらって全裸にになって、いっときの笑いと醒めた視線を獲得し、また寂しくこっそりと服を着る会社員のようだ。

 

 いやきっとカノジョは歌い終わったあとに、数人いたギャラリーの誰かから、上から目線のアドバイスみたいなものを受けるのであろう。そのなんのプラスにもならないコトバに疲弊したココロとカラダを引きずりながら帰るのであろう。

 

 そんなことをバスで考えながら、僕は夜勤へとむかうのであった。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。