KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ボクはダメおじとして生きていく

 ダメおじといっても、一概にこうとはいえない。ひとついうとしたなら、“社会”というところにおいて役に立たないおじさんということになるのだろう。

 

 結婚もしていなければ、子どももいない。社会のカタスミでこっそり1人で生きている。いちおう働いて納税はしているから、まだ完全なるお荷物には、なっていないけれども。

 

 そのようなダメおじは、どのようにして社会生きていけばいいのかを考えている。そしてこのブログで記録していく。

 

 人にやさしく、ふだんは孤独であっても、ときに人の助けをかりながら、それでいてこだわりをもって、社会を浮遊しながら生きていくダメおじなのでした。


 あの人の1周忌によせて。


 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。