KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

夕やけニャンニャン

 大学の講義の日に、学校のヒトとのちょっとした話題で、30年ほど前に市ヶ谷に住んでいたというハナシをした。自衛官として市ヶ谷駐屯地(現・防衛省)の官舎にいたのである。

 

 そうなのだ。30年前なのである。当時と街並みは変わったかと聞かれたが、ほんとうにガラッと変わってしまった。あのころはまだ、日本テレビもフジテレビも、市ヶ谷から歩いていける距離にあったのだ。

 

 とくにフジテレビは、市ヶ谷駐屯地の官舎から建物がみえた。最初にこの建物をみたとき、ああ東京に住むんだなあと、感慨深く思ったものだ。ちょっとした憧れであったのだ。


夕やけニャンニャン#15 【19850419】

 前置きが長くなってしまったが、フジテレビというと思いだされる番組のひとつに「夕やけニャンニャン」があった。番組開始時は中学校1年生だった。このころの片岡鶴太郎が懐かしい。いまや文化人だものなあ。

 

 おニャン子クラブが大好きだったのだ。それでもまだこのころは、テレビという小箱のなかに映る遠い存在だったのだ。市ヶ谷に来たころはすでに夕ニャンも終わっていたが、遠い存在だったのがちょっと近くなった気がした。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。