KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

セックスは”契約”でするものではないと思われる

 ジャーナリストの女性が元TBSの記者に性暴力を受けたとして、損害賠償を求めたというニュースについて。なんかいろいろとひどいハナシであるのだけれど、Twitterのカタスミでこんなものを見つけてしまった。

 

 

 セックスというのは、甘美でかつロマンティックであり、それでいてデリケートなものなのですよ。だからこそ男性目線で申しますと、相手にたいする思いやりと倫理観が大事なわけでして。

 

 セックスそのものよりも、そこに至るまでの過程が大事なのです。お付き合いしているわけでもない相手がお酒を飲んで酩酊している状態で行為にいたるのは、ロマンのかけらもないじゃありませんか。

 

 それにくわえて承諾書を書かせるなんて、興ざめもいいところ。至るまでの過程に、その人にたいする背徳感とそれを凌駕してしまうようなパッションと想いがなければ。そしてその感情は承諾書のようなコトバで表せるものではないのです。

 

 しかしこの区議会議員デリカシーないわほんと。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。