KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

あまり”あけましておめでとうございます”を言わなかった理由

今日の動画


おっさんの自己紹介

 というわけで、YouTube動画をコツコツ作りはじめたので、よろしくお願いします。

 

 だいぶブログの更新に間が空きましたが、元気にやっております。初七日には間に合いました。年末年始は働いたり、親せきの集まりに顔出ししたりしていましたわ。

 

 つきあいのある方によっては、ひとこと新年のあいさつぐらいLINEでもしろよというヒトもいたかもしれませんが、基本こっちに来なければ、自分からはしませんでした。いまとなっては、人づきあいに上も下もないと思ってますので、たがいにしない方がフェアというものです。

 

 この歳にもなると、新年がきても、おめでたいと思われないというのが本音でして。しょせんは通過点にすぎないのですよ新年というものは。新年がきたということじたいは、たんに死が近づいたという告知にすぎません。

 

 なかには自分が歳をとることに恐怖感みたいなものを持っているヒトもいるだろうということで、ネット上であえてあいさつしませんでした。どうかかわらずこのブログと当ブログ記録者のことをよろしくお願いします。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。