KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

シンプルに倫理を語る

【インフォメーション】


おっさんの食料事情part1

(今回は1分もしないで終わります。

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それでは本題に入ります。

 

 さいきん特に、当ブログ記録者より若いヒトと、言い争いになるテーマがある。それが倫理についてである。倫理でピンとこない方は、小中学生のときに授業でやった道徳という科目を思い出してもらえばいい。

 

 倫理という言葉についてもう少し掘り下げてみよう。つまりは社会での行動において、したがうことが求められる善悪の基準である。たとえばどの宗教においても共通する原始的戒めというものがある。

 

 殺してはいけない・盗んではいけない・嘘をついてはいけない・淫らな生活を送らないなどなど。これはいつの時代のどんな場所でも共通する倫理だ。ニンゲンは傲慢であるからこそ、このような普遍的テーマにシンプルに立ち返らなくてはならない。

 

 なぜこれが論争になるのかというと、倫理なんて時代とともに変わるというヒトがいるからだ。さらにそのヒトがいうには、だから法律さえ守ればそれでいいらしい。裏を返せばそれは、法律に触れなければなにをやってもいいというところに行きつく。

 

 しかし時代とともに変わる倫理というのはもはや倫理ではないのである。むしろ法律の方が、時代とともに変わるのだ。法律に触れなければうんぬん言うが、法律が増えてがんじがらめに規制されればいいの?ということになる。

 

 そんな法律に行動ががんじがらめに規制される世の中なんてマッピラであるから、倫理の意味を考えて、暗黙に守っていくよう努力しなければならぬのだ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。